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■宗教とは何か
 1.宗教を形から捉える
 2.信教の自由

 


2.信教の自由

 「宗教とは仮説体系に過ぎない」ということや「宗教とは思想や哲学などと同様の形而上学上のものに過ぎない」ということを書きましたが、同時に信仰している人にとっては「確固たる事実」であることも紛れもない真実です。だからこそ、自分が素晴らしいと感じたものを人に勧めたくなるのも気持ちとしてはわかります。

 さらに言えば、自分が素晴らしいと思った宗教を自分以外の人に紹介することは良いことだと思いますし、むしろ当然の感覚だとも思います。たとえは悪いですが、ちょうどおいしいケーキ屋さんを見つけたら人に教えたくなるのと同じなのですから。

 ただ、それが「押し付け」になってはいけませんし、ましてや破壊的カルト宗教(以降カルト宗教とします)のように、宗教であることを隠したり、だまし討ちのような布教方法をとったり、挙句の果てには恣意的なマインドコントロールにまでなっていたとしたら、これはもう論外です。

 そうした強引な押し付けをするような宗教団体に所属している人に対して、こうした部分を指摘して批判すると必づ出てくるのが「信教の自由」という言葉です。

 「信教の自由」はたしかに大切なものです。憲法などで規定するまでもなく万人にとって当然の権利であることは間違いありません。極端な話、イワシの頭を拝んでいる人をバカにしたり、非難する権利など誰にもないのです。誰にでも自分が信じるものを大切にする権利はあるのです。

 しかし、宗教や思想の強引な押し付けをする人がいう「信教の自由」は大切なことを忘れているのです。「信教の自由」には確かに「布教する自由」もあるかもしれません。しかし、「信教の自由」の中でもっとも大切なのは「信じない自由」であることを忘れてしまってはいけないのです。自分以外の人の「信じない自由という信教の自由」を踏みにじる形で「自分の信じる自由」を主張してはいけないのです。

 自分の信じる宗教を持ち、信仰を深めようとするなら、「信じない自由」の大切さを片時も忘れてはいけません。これは裏返して考えれば簡単に理解できることなのです。たとえば熱心な仏教徒にキリスト教を信じろと強要しても拒否されるでしょうし、逆もまた真なのは自明でしょう。同様に信仰を持つ人なら、自分が信じている宗教以外の宗教を信じない権利を当たり前のこととして行使しているはずです。ならば、自分も自分以外の人の「信じない権利」を最大限尊重しなければいけないのは当然のことです。

 「信教の自由」があるからこそ、誰もが安心して自分の信じる宗教を信仰することができるのです。だからこそ、「信教の自由の中で一番大切なのは信じない自由である」ということを誰も忘れたり、軽んじたりしてはいけないのです。これはルーツに魔女狩りの歴史を持つ宗教を信仰する私にはとても強く実感させられるものです。

 

 

 

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