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■魔女のための良き弟子になるために
 はじめに
 1.便利さという落とし穴
 2.調べることの重要性
 3.行動することの大切さ
 4.礼儀の大切さ
 5. 続・礼儀の大切さ
 6.わかったつもり
 7.「わかった」と「わかっている」
 8.着実な実践
 9.教えは無償ではないことを知る
 まとめにかえて

 


9.教えは無償ではないことを知る

 前項で

 「たしかに知識を教えるだけならば、オンラインでも工夫次第で可能でしょう。しかし、魔女になるためには訓練がどうしても必要です。技術的な面で言えば、本当は直接見せて教える部分を映像教材で、きちんとできたかどうかをリアルタイムのチャットやレポートなどで、というようにできると思います」

と、言うことをお話しました。
しかし、これを見たときに自分がどう思ったかを思い返して欲しいのです。
これを見て、

 「ならば、自分はやる気も熱意もあるし、地道な努力もする。だからこのようにやって欲しい」

と、思った人はいないでしょうか。事実以前こうしたことを他で書いたときにこのようなご意見を立て続けに頂いたことがあります。しかし、これは考え方として大きな間違いです。

 まづ、なぜ教える側がそこまでの努力をする必要があるのでしょうか。このような形を整え、教わる側の予定にこちらが合わせ、とすれば可能です。しかし、そうした努力や労力をなぜ教える側が払うのが当然なのでしょうか。たしかにそのような教育産業のような商売でやるなら、営業努力として当然教える側が努力すべきです。しかし、魔女の訓練などはそういうものではないのです。

 また、一生懸命自分の熱意を語る方に、私が根負けする形で志願者の方に直接教えましょうか、と提案したときに「東京までなら行けるのですが…」などと言われることはよくあります。私はこういう発想が出てくること自体が不思議です。

 なぜ志願者を指導するためだけに私が片道何時間もかける必要があるのでしょうか。自分が「忙しいから」「遠いから」「お金がないから」という理由を主張するなら、私には「近くて」「時間が無限にあって」「志願者の方に拝謁させていただくことで裕福になって」と、いうことが約束されているのでしょうか。ましてや志願者は一人ではありません。そのような戯言を聞いていたら、私の時間も無くなるし、生活も破綻してしまうのです。

 確かに私を含めて魔女は志願者の指導に料金を取ったりはしません。しかし、料金を頂かないことと「無償である」ということは同じではないのです。料金を取らない代わりに、本人の努力、熱意、真剣さ、謙虚さは普通以上に求められるのです。

 こう考えると、数日のワークショップなどで高額の料金、というほうがたぶん楽です。教える方も気楽です。しかし、魔女の道に足を踏み入れた後、もっといえば魔女になったあとのほうが大変なのです。だから、その後のフォローなどが絶対に必要だということを考えると、数日のワークショップなどの簡単で無責任で、その場しのぎの方法などは絶対に取れません。また、その危険もないものだとすれば、それは魔女になった気分を売っているだけの詐欺です。私はそのようなものも断固否定します。

 ですから、魔女になるための訓練などが無料であっても、無償であるとは考えてはいけないのです。そして、それはどんな人でもやる気さえあれば誰でも払うことができるものなのです。

 そう考えると「魔女になれない理由」などはないのです。

 

© 橘青洲 All right reserved.